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おひとりさまぐうたら生活入門

おひとりさまで、オタクで、さみしがりやで、お気楽生活をしてます。

飽きてから視る。興味がなくなってから視る。そういうことになってしまう。

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飽きてから視る。興味がなくなってから視る。そういうことになってしまう。

わっしし。
バロム・1とジャイアントロボ(特撮)、フォーゼの映画を80円レンタルしてしまった。
バロム・1は、第一話から見たかったんだけど、貸出中だ。むかしも、ジャイアントロボの1話を見たかったのに、貸出中だったんだよな。フォーゼの映画は、借りたいときはずっと貸出中だった。新作の時に借りるつもりだったんだけど、すっかり忘れてた。

youtubeの動画で、いろいろ見てたら借りたくなった。
けど、ジャイアントロボに関しては、真夏のあいだ、借りたかったんだよな。で、借りたい気持ちが極端に下がった時に、借りた。借りたといってもまだ、注文しただけで、届いていない。

どうせなら、視たいときに視るべきだよな。
それが、おれは、いつも、ピークをはずしてしまう。
飽きてから視る。興味がなくなってから視る。そういうことになってしまう。

まあ、借りようとした時に貸出中だったというのもあるんだけど、それにしても、いつも、こういうことになるな。ちゃんと視たいときに、視たことがない。ほとんどないんじゃないかな。その時は、その時で、「お金が勿体ない」とか考えるんだよな。まあ、今回は確かに、一本につき20円ぐらい安いけど。

一本につき1万円値段が違うのであれば、そういう風になるともわかるだろうけど、すべてのことで、そうなっている。これは良くない。

借りようかなーーーーーなどと考えているうちに、借りたいのか、借りたくないのかわからない状態になってしまうのだ。これは、不幸だ。いつもそうだ。借りるとかそういうことではなくても、いつもそうだ。恋愛感情とかそういうことに関しても、そういうことがなりたつ。おかしい。これは、おかしい。すべてのイベントに関して、全部そうだ。かならず、興味のピークをはずしている。これは、おかしい。これは、子供の頃、かならず、自分のほしい気持ちややりたい気持ちを、外されたところから生じているのではないかと思う。ぜんぶ、そうなるんだからな。
何かがほしいという場合は、お金が関わっているけど、お金が関わってないところでも、同じようにそうなるのだから、おかしい。

絶対に、欲しいものは、買ってもらえなかったという、暗い過去があるのだ。ほしいと思った時から、絶望が始まる。葛藤が始まる。まあ、いまは大人なのだから、そういう、過去に縛られる「必要はない」。しかし、この「必要はない」という物言いが、ものすごく、腹立たしい物だったりする。「こいつ、わかってないだろ」って思ってしまう。縛られる必要はないということは、あたかも、必要性を感じて、縛っているような人に対していう言葉だ。自分で自分のことを縛っている人は、必要性に応じて縛っているわけではないのである。感情の流れがスムーズにいかないのである。それは、葛藤を含むことなのである。効率性や必要性の問題では無いのである。これがわかってない。

フロイトが提案した「無意識、自我、超自我」という心理モデルだけど、これは、いまもなお有効なのだ。無意識の部分をなくして、合理的か不合理かということを考えるのは、実は、人間の心をしくみを無視した、不合理な考え方なのである。これがわかってないのだよな。

馬に乗っている人間でたとえると、馬の方が無意識なのだ。で、人間は、その無意識をなんとか制御しようとするけど、制御できない。この、制御できないということが問題なのであって、合理性の欠落ではないのである。ここがわかってないんだよな。
ようするに、意識して、ピークを外して、残念な気持ちになろうとしているのではないのである。もし、そういうことであれば、たしかに、残念な気持ちになる必要はないということを、理解すれば、それで済むことになる。しかし、済まない。済むわけがない。

その時、だったら、100%楽しめるのに、その時、は、動かないんだよね。動けないといったほうがいいか。
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